城山飯縄神社 向原石器時代遺跡 座間神社より丹沢山塊

文化の十字路
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  神奈川県相模原市にある向原石器時代遺跡(上中央)から1万5千年前の建物跡や多量の石槍が
 発見されている。その石槍は長野や伊豆、箱根等の黒曜石で作られていて(相模原教育委員会より)、
 この頃からこのあたり相模川流域が長野、伊豆箱根と文化的につながっていたことがわかります。

 近所のやさしいおじさんからの情報によると、昔は川の向こう岸にある木が低くて丹沢の山々がきれいに見えたそうです。
 そして川幅が100mほどあって鮎もたくさんいたらしいです(相模ダムしかなかった時代)
 来年の春には駐車場つきの公園になるらしいです。 


 座間神社(上右)で飯縄権現と出会って、調べてくうちに、
 高尾山が実は飯縄大権現を祀っていることを初めて知りました。
 何回も行っているのに、知らなかった、、、天狗、天狗とばっかり思っていたので。

 筑井城跡がある城山にも登りました。
 ここには飯縄神社があります。
 武田信玄と上杉謙信、北条氏も飯縄大権現を信奉していたので(高尾山薬王院HPより)
 かなり広範囲で飯縄権現信仰はあったのでしょう。
 
 
山宮町大宮神社の丸石神 高尾山の飯縄大権現 酒折宮の蚕影大神
 
 
座間神社の御由緒によると飯縄大権現がこの社の始まりだとされている。
 それが欽明天皇の御代というのもかなり興味深い。同じ時に宇佐には八幡さまが御示顕になっている。
 (宇佐神宮HPより)
 そしてさらに興味深いのは、宇佐神宮も高尾山薬王院も聖武天皇の勅願によって建立されているということです。

 聖武天皇の中では飯縄大権現と八幡神はどのように捉えられていたのでしょう。

 座間神社の祭神は日本武尊に改められているわけですが、これを考えると以前三峯神社の項でも書いたように
 日本武尊を祭神としている神社は本当はどうなのだろうという考えに至ります。
 
 またこの地にはたくさんの諏訪神社があります。
 全国何万社とも言われているのでここだけではないと思いますが、それでも密集しているように思う。

 これを考えるとこの地は1万8千年以上の昔から長野県からの文化的影響下にあったということが言えると思う。
 
 (さらに言うと文化的にも軍事的にもこの相模川中流域を制することは
 関東一円をドミノ倒しのように影響下に置けることを意味しているように思う。)

 ただそれがどういうルートで入ってきたのかが知りたい核心であるのかもしれない。
 山梨から入ってくるのが普通だと思うが、なぜ山梨の石の文化を受け入れなかったのか
 ここも面白いところだと思う。

 山合いを散策してもそれらしきものを一度しか見たことがない。
 
小倉諏訪神社 根小屋諏訪神社 小網諏訪神社
 
 それと、ここには濃密な蚕影山信仰があるらしく(これは山梨と同じ、上上右写真、酒折宮蚕影大神)
 茨城の文化も享受している。現在調査中。

 
 最終的に一番気になるのは、これほどの文化を享受しながら、
 相模川流域で生まれた文化はなかったのだろうかということである。


 文化というものは余りあるほど享受できれば、自らは生み出すことはないのだろうか?


 そして信仰というのはなにから、誰から始まるのだろうか?
 これがわかれば、私たち日本人は伝統的な日本の連続する歴史に中に足を踏み入れることができる。
 それができなければ、全てが観光地化し、なぜそのような信仰をしなければいけなかったのか、
 その意味や根拠、動機を忘れてしまうだろう。すなわちそれは文明の崩壊を意味している。



 
(2006.4.25)


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