屹立する文明
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 山梨にはこんなものまであります、、、、
 
 上の写真は山梨県羽黒町にある羽黒大宮神社です。
 天狗山と呼ばれる山の直下にあります。天狗山は羽黒山とも呼ばれており、上の写真ではなだらかな
 感じがしますが、少し距離を置いて見るとかなり正三角形のような美しい形をしています。
 あ、あれだな!っとわかります。

 天狗、羽黒という呼び名、そして巨石があるので、修験道と密接に関わっているということはすぐにわかります。
 それにしても息をごくっと飲み込ませるようなこのバイブレーションは一体どこからきているのでしょうか。
 それが、岩からあるいは山からきているのは間違いはないのでしょうが、
 改めて誰かに確かめたいほどの激しさがあります。
 
 大宮と言われているのでここが霊的な中心地であることがわかります。
 ただそれがどこからどこまでの範囲でのことかは今のところわかりません。
 住んでいる人に聞くか、自分が住んでみないと。

 大宮という地名つながりでいくと埼玉の大宮もそうです。
 氷川神社が霊的な中心地です。水とも深く関わっています。
 杉並区に大宮八幡神社があります。東京のへそと呼ばれていまして、今でもかなりの求心力があります。
 それはなぜなのかと近くに住んでいましたから、ずうっと考えていました。
 あるとき、神社近くにものすごく波動の良い場所があることを発見したんです。
 善福寺川という川でこの川の周辺に縄文の遺跡が多くあったのです。

 こんなこともありました。目黒通りがなぜあんなに波動が良いのかと考えていた結果
 その原因が等々力にあるということに思い至りました。そこも縄文遺跡が氾濫する場所です。
 水とも深く関わりがあります。
 それは生活の手段の水という意味ではなくエネルギーを通すための水という意味になります。

 
 
 これらは多摩に引っ越した後に全てが氷解しました。
 多摩丘陵もまた縄文遺跡の宝庫です。
 水分の地がどれだけのエネルギーを持っているかということも知りました。
 蛇信仰とも深いつながりがあります。
 
 東京全体が縄文遺跡だらけだよといってしまえば元も子もないですが、、、

 それで話は戻りまして、この羽黒大宮神社に 

 なぜ、ここで修験という言葉が出てこないのか。それが不思議です。
 全てが修験のエネルギー信仰そのもの。

 807年に千塚村から勧請されたとされています。
 千塚村に拝殿があって、現大宮社地が禁足地のカンバであると仮定するならば
 この話は納得ができる。

 ただ800年前後といえば坂上田村麻呂の時代であり、大宮と称されるこの神社への信仰と結界は
 大和朝廷にとっては目障りなものであっただろうと思う。

 
 
 
 石(岩)は縄文時代からあるいは石器時代から私たち日本人にとって
 信仰と密接に関係してきたものであるにも関わらず、奈良時代以降急速に
 闇にほおむられました。飛鳥時代までは、石と深く関わっている。

 古墳時代を通じて、石の文明での中央集権を試みてきたが
 それが限界に達したのか、本質的に不可能であることに気付いたのか
 仏教と律令による鎮護国家へと変貌を遂げていく。

 石といえば土蜘蛛を連想させる、、、
 まとまらないですね。



 結論を言うと、ここだけではまとまったことをなにも語れないということでしょうか。
 たぶん、ここはサブシステムだと思うんです。

 もう少しまわってみないと、考えてもわかりません。

 わけわかんなくなりましたが、とりあえずOKということで。
 次行きます。

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2006年5月26日追加↓
ここ大宮神社および積石塚古墳については備仲臣道氏の
高句麗残照 積石塚古墳の謎で詳しく書かれています。

かなり興味深い内容で、高句麗の石文化をしっかりと認識できれば
それ以前の巨石文化も知ることができると思うので、ゆっくりと攻めていきたいと思います。



 
(2006.4.13)


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