
お迎え事始め
Ooyama's crown system |
先月の末、神奈川県にある
大山(おおやま)に行って来ました。
かなり前から気にはなっていましたが
機会に恵まれていませんでした。
大山を訪れた前の日には、高尾山に行きました。
今年の春分に、行うかもしれない、お迎えの事始を高尾と大山でしなければいけないような
そんな気がしていたからです。
訪問後、何日か経過しましたが、やはり今回行ったのは必然であったように感じていますし
時間が経過すればするほど、大山の存在が大きくなり、本質的なエネルギーの重層さが
さらなる問いを誘います。
大山は拝む山というふうに感じられました。
元々、自分は山に登りたいという欲求はほとんどありません。
山の本質的なエネルギーを捉えたいという欲求があります。
それと、拝殿から遠くの山を拝むような場所に立った時、現代では使わないような脳の一部が
刺激されているような感覚がなんであるのかを確かめたいという理由もあります。
少しオカルティックな話になりますが、その脳の部分は、人間の錯覚を利用して次元移動や空間移動を
可能にしていたのではないかという直観が自分の中にあるからです。
それが出来たからといって、どうってことはないのですが、それがわかれば、人類の意識ビックバンの
起源とか、日本人の源とかがわかるんじゃないかなという直観もあるんです。
大山の話に戻りますが、大山は
周辺の山とは明らかにバイブレーションの密度が違います。
大山を中心として、周辺のエネルギーが組成されているような感じを受けます。
このエネルギーシステムは四国の大洲にあるメンヒルを含むシステムにも似ているような気がします。
神代の大山は奈良県の神野山のようにおそらく禁足地であったことでしょう。
誰も足を踏み入れることができなかったか、あるいは限られた人間のみがその聖域に入ることを
許されたのでしょう。
拝殿がどこにあったかということが気になります。
雨乞いは山中ではおそらく行われていなかったでしょう。
大山のエネルギーと直結できる拝殿の中のイワクラで雨乞いを行っていたと思われます。

左の写真は七沢公園から大山(一番奥の霞んでいる山)を拝みましたが、たぶんこのような場所が拝殿であったと思われます。(実際はもっと大山が目の前に迫ってきているように近くに見えます)
このような広い場で、人々が集まり、儀式が行われていたと思います。
この公園から大山に向かって瞑想しましたが、情報がかなり多かったです。
正邪のエネルギーが一気に入ってくるというか、受信体質の方はたぶん
いっぱいいっぱいになります。
それは、単に現在のエネルギーだけを集めているだけではなく、かなり 重層的で巨大なエネルギーが
時を越えてやってきている というか、蓄積されているように感じました。
そのため、なかなかこの記事が書けませんでした。
この山の歴史も知りませんでしたし、意味にも気づきませんでした。
やっとなんとなくわかってきましたので、書いてみます。
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実は先月訪れた八菅山と大山そして高尾山にはものすごく密接な関係があることがわかってきました。
これらは、水神、たかおかみ、天狗でつながっています。
大山は昔、雨降と呼ばれていました。水とは深いつながりがあります。
高尾山のたかおはたかおかみのたかおに通じているのではないかと考えています。
京都鞍馬の貴船神社に”たかおかみ”と”くらおかみ”という神さまがいます。
呼び名が違っても同じ神さまだそうです。これは、自分がイベントダイアリーで書いた
”モノ”に合致しています。
水が”たか”と”くら”という神魔で捉えられています。
高尾山と大山の関係は、鞍馬と貴船の関係に似ています。
本質的なエネルギー認識は同じように思いますが、対象が山から水に変わっているように思います。
これは、縄文から弥生への変化のように感じます。
鞍馬のエネルギーは、オブシディアンのエネルギーに似ていて
アイルランドのブラックバレイと同様に強力なエネルギーです。
鞍馬の天狗が有名なように、ブラックバレイはレプラホーンという妖精で有名です。
オブシディアンのエネルギーというのは、まさに”たかおかみ”と”くらおかみ”なのです。
鞍馬は2つが共存しているのを感じますが、貴船は分けて祀っている。
ここが重要だと思います。稲作と共に分断思想が入ってきている可能性があります。
それと共に弥生は縄文を征服していないということも証明できるような気がします。
なぜなら、分断思想下では、たぶん”くらおかみ”を祀らないからです。
両面宿禰や温羅や土蜘蛛などの異型とされたものたちは、おそらく”モノ”を
操っていた日本の先住民族でしょう。
A
以前は石尊山と呼ばれており、山梨の丸石信仰と密接に関わっていること。
関わっていたこと自体は、山梨とここは距離的に近いため必然と言えますが
ここが、その文明圏の東端であれば、全体像を知るきっかけになるし、
高尾と大山の関係ももっとくっきり見えてきそうだからです。
B
白山と深い関係にあり、木の文明の痕跡が見受けられること。(北陸の木の文明と関係があるかのように、古木が御神体となっている神社がある。もっと深く言うと古木のエネルギーが大山に向かっている、もっとわかりやすく言うと、大山への信仰が周辺の古木を御神木至らしめている) 右の写真は輪抜けの起源を思わせるような御神木です。
邪が抜けるエネルギーです。生まれ変わるという認識エネルギーを喚起させるからです。神社に参道ができたのは、これを起源としているかもしれませんね。
C
熊野でインスピレーションを受けた行基が大山を開山し復興させているということ。
空海と役小角と同じくらいこの行基という方は自分の進む道とバッティングしています。
渡来系の方のようですが、彼が告られていたのは間違いなく日本の土着神です。
民間の僧で、民を救済するために各地を周遊していたようです。尊敬すべき日本人です。
民を助けるためには、神を鎮めなくてはいけない、足跡からはそんな声が聞こえてきそうです。
かなり論理的で現実的な方であったように思います。
この4つの要素が混交しているので、捉えづらいです。
日本の古代を知る上で、非常に重要な要素を備えていますが、一番重要なことは
何度も宗教者をひきつけてきたバイブレーションがこの大山にあるということだと思います。
将来的には、さらなる引出しを開けるために、ここに戻ってこなければいけないような気がします。
ずっと先のことになると思いますが。
大山は、情報が膨大なのでわかり次第、加筆修正していきます。
(2006.2.6)
上左写真は神奈川県伊勢原市にある飯綱宮。
高尾山薬王院も津久井城山の飯縄神社も石老山の飯縄権現も藤野の飯縄神社も山の中にありますが
ここは平地の中にぽつんとあります。しかもこの神社のご神体はおそらく背後の大山でしょう。
(この神社から見える大山の夕日《中央写真》)
飯縄権現が山岳信仰と密接に関わっているのは言うまでもなく
最も古い形態の山岳信仰は社を山中に置かなかったと思うのです。
それが縄文に入って、山神を山中で祀ることが始まって、稲作が始まると再び平地に降りてくる。
そういう流れがあると思うので、一見、田の神信仰に見える神社も神体山がセットになっている場合は
ものすごく古い可能性があると思います。
(2006.5.2)
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