
三峯のその奥に
Love and life
and
the spiritual faith |
秩父といえば「板垣死すとも自由は死せず」この言葉がまず浮かんできます。(今Webで調べてみたらどうやらこれは秩父ではなかったようです、が、自由民権運動は盛んであったようです)自分の地元の家の近くにひっそりとある板垣の墓を思い出すとなんともさびしいような感じがします。秩父はほんとに山の険しいところです。四国のやまなみとよく似ています。

それと秩父といえばやはり武甲山。
実際に見るのは初めてなのですがものすごく存在感があります。
中に宇宙人でも入っているのじゃないのかと思うくらい周囲の雰囲気とは少し違うものを感じます。なぜだかはげていたのが大変気になりました。おそらく宇宙人がやってきて、山頂からそりで、ひっきりなしで滑ったので、はげたのだろうと思いました。
今回初めて秩父を訪れましたが、この土地には独特の哲学と思想体系を生み出す力があると感じました。それはこの土地が古来より周辺地域とは違った神を違った形で信仰してきたからだと思います。それはもちろん”海神”ではなく”山神”であります。埼玉県という立地にも関わらず東京という波動に侵食されずに独立できているのはやはり強烈な精神的支柱があるとしか考えられません。
日本全土が東京化するというそらおそろしい自体に瀕し地方では様々な事件が発生していますが(人間でもそうですが自己を抑圧し真似ばかりしていると自我が崩壊し始めます、それを救済するのがスピリチュアル界でいうところの”センタリング”です)、都市に寄生し土着の神をないがしろにしている自治体はこの秩父の波動を本当の意味で参考にしなければいけないときが迫ってきていると思います。この土地がどういう歴史的背景を持つかはあまり詳しくはありませんが地方の惨状は理解しているつもりです。
東京に住んでいると人とお金が際限なく降ってきているように感じますが、実はその奥には慎ましく美しい日本人が地方に数多く存在しているからこそ東京という都市の経済的価値は維持されているのだということも忘れてはいけないと思います。
東京こそが日本の経済を牽引しているという表面的な認識が日本中を覆っていますが、本質的に日本経済を担っているのは地方哲学であり東京は本社機能を集約しているに過ぎません。この都市と地方のエネルギー補完に対する本質的洞察を欠いたならば、将来の国土発展に重大な欠陥が生じることになりかねません。実は自分の中でこの都鄙の問題は解決したいことの上位に位置しています(苦笑)?
今回訪れた三峯神社はこの武甲山から車で1時間ほどの奥秩父にあります。
東京からは車で4時間ほどです。
あなたはどちらの道を進みますか?
右を選んだ人は、りきみスギないようにしましょう。
左を選んだ人は、休みスギないようにしましょう。
どちらも選ばなかった人は、引きスギないようにしましょう。
ということでこの神社も例外なくスギだらけです。

信仰というエネルギーを吸ってご神木になっています。
人間がロストバイブレーションをした今となってはこのご神木のほうが私たちよりも高い次元を生きています。

上の写真と右の写真の2枚でうまく表現できていれば良いのですが、この宮が現在でも多くの方の厚い信仰をうけているということがわかります。

かすみやま
いづこのやまぞ
やみのさき
右の写真は拝殿から見た妙法ケ岳山頂の奥宮です。
ここが一番重要な場所。なぜこの場所に神社があるのか、その疑問にこの拝殿は答えてくれます。
日本武尊が御宮を創始されたとご由緒にありますが、私はもっとこの場所は古いと思います。もともと神代からこの場所はエネルギー降りがよく起こっていて、霊的な人物と周辺の信仰を集めていたと考えられます。日本武尊はここを統括しにきた人物で田村麻呂と同じだと思います。拝殿からみる上の写真からは明らかに深いエネルギー認識を持った論理的な人間が拝殿と奥宮である山頂を結んだという事実が私の胸には迫ってくるようです。
これから巡る各地の霊的スポットにおいて修験というのは重要なキーワードだと思います。なぜなら彼らは神代エネルギーシステムの再生を間接的に試みていたのではないかという感覚が自分にはあるからです。今でこそ彼らは山岳信仰と仏教とを習合させた集団というふうに定義づけられているような気がしますか、では一体、山岳信仰とはなんなのでしょうか?さらには信仰とはなにから始まったのでしょうか?この問いに対して日本の歴史的遺構が何の脈略もなく散発的に存在していれば私の脳も反応しなかったかもしれません(笑)。
しかしながらそれらを知れば知るほど地上に存在するどんな学問や認識よりも高度で複雑で論理的な法則がうっすらと見てくるのです。それが単に私の妄想かはたまた客観的事実であるのか楽しみでもありますが、いずれにしても山のエネルギーを人里に降ろすという点において、最も都市が欲していることをすることに変わりはないので社会貢献はできると思います。
(2005.6.24)
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