
新しい地平線が開けた。
今までひとつの社会というものにこだわりすぎていた
のかもしれない。
GDPを伸ばし、経済力を増大させ、国際社会での
発言権を拡大していく。
日本的思考を世界に拡大することこそが世界平和につながる最短距離。
日本的思考とは何か?
それは神道の世界観に基づいた支配なき世界である。
翻って現在のアメリカの自由拡大化理論は、”自由という名の支配”理論である。
それは、あたかも私たちが昭和に陥った”支配なき神道イズムによる支配”理論と酷似している。
日本のGDP拡大が世界平和につながるというのは、やはり将来的にも間違いがないように思える。
帝国主義の時代になれば、軍事力を強化しなければいけないのはごく当然のことである。
私たち日本人は、過去の戦争が、一部の軍国主義者によって行われた間違った戦争と考えがちだが
間違ったのは日本の軍国主義ではなくて、帝国主義を生み出した当時の世界環境なのである。
これは日本人はもちろんのこと、韓国人や中国人、アメリカ人も認識しなくてはいけない事実だと思う。
特にアメリカ合衆国は独裁国家を忌み嫌いつつも、自らがそれになろうとしているという事実を深く認識しなくてはならない。
この日本的思考とGDP拡大を思想的に融合させようとしてきたが根本的な間違いあったことに気づいた。
この2つは水と油なのである。
GDP拡大そのものが支配なのである。
だからこの両者をひとつの存在の中に共存させることは不可能なのである。
その結果、2つの存在という結論に辿り着いた。
GDP拡大、いわば資本主義というドグマの中に日本的思考あるいは、社会主義的なドグマを展開させる。
この2つの存在を、どちらか一方という2元論的な認識方法ではなく
2つとも、という日本古来の習合のような認識で捉えていく。
そしてそれを相互補完する存在に強化していく。
戦後、私たち日本人は社会主義の中に、資本主義を育ててきたのですが
皮肉にも、その資本によって家族や社会、お互いの信頼や絆までもが壊れようとしています。
まだ間に合います。
資本主義社会の中に社会主義思想のブロックを創らなくてはなりません。
お互いが争うのではなく、相互補完するようなかたちで。
戦後の私たち日本人にとって、それは”カイシャ”だったのかもしれません。
しかしバブルというものが崩壊し、社会主義的な日本的経営が批判されて、日本の企業は大部分が資本主義化しました。
そのことによって私たち日本人の中の”魂の社会”さえも崩壊しました。
あらゆる経済的価値は心の期待値によって定まるわけですから、本質を洞察する心が崩壊すれば
経済的価値が崩壊するのは当然のことだと思います。
しっかりとした経済思想家《例えば松下幸之助や渋沢栄一》は、経済という枠を越えて神域に入っていきました。
それは古代でいえば、サニワの役目を果たしていました。
私たちの魂の寄る辺を洞察し、創出し、繋いできました。
しかし、それらが生み出した経済的発展は、政教分離、民主主義、資本主義、科学などの近代的思考によって
私たちにもたらされたものであるという勘違いを引き起こしました。
トヨタをはじめ日本を代表する日本的経営を行っている企業内では
素晴らしい日本社会が息づいていることと思いますが
その外側の末端の社会では、もはや日本社会と呼べるものはほとんどないように思われます。
”まさかそんなことをする人間はいないだろう”という言葉は、もはや今の時代では通用しません。
それが通用しないのは、共通の価値やルールを共有していないからではないでしょうか。
それはひとえに、共通の価値を誰も見出していないということに原因があるように思います。
私たち若い世代は”カイシャ”や”セケン”に魂を托すことはもはやできないと考えています。
なぜなら、信用ができないからです。
それ自体が既に日本社会の崩壊を物語っています。
だから私たちは私たち自身の手で、信用でき、安心のできる社会を創造しなくてはならないのではないでしょうか。
この思考自体が、もはや資本主義ではなく社会主義であるということに気づきます。
(2005.11.18)
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